Edit your comment さまざまの こと想い出す さくらかな 芭蕉 左の蕪村と思われる句の検索をしてみましたが「衣の神」「ほたる」では見つけられませんでした。どういう句なのか気になります。 芭蕉の句は三重県の故郷に戻ったときに読んだと言われています。どれほどの時間を経て戻ったのでしょうか。記憶の中の事実を手繰り寄せるとき、喜怒哀楽が見えたのでしょう。その時芭蕉は人生の先を見つめていたのか、老いた中での終焉を悟ったのか。状況を映す言葉の意味はあまりにも深いです。 羅漢の思いにふけるポーズが印象的で、しかしながら肉体の衰の部分が見られる気がするのは、まさに荒行を終えて悟りの境地を漂っているかのようです。 寝る羅漢は下腹部の影が気になり過ぎて、涅槃と見るどころではない邪推が真っ先に来てしまいました。残念ながら塗りつぶされていたので、それが寝ているのか起きているのかわかりません。 立位羅漢はまさに彫刻。美術史に精通しているわけではありませんが天平や奈良、平安時代においても仏像のように優れた作品が生まれています。十二神将像は大好きなひとつで、阿吽の仁王様同様その肉体の強靭さが秘められているからこそ調和のとれた像になっています。ひとつひとつ衣を剥ぎ取れば、立位羅漢のような肉体が現れるのは疑いのない事実だと思います。 一方で、当時の日本人の150㎝程度の身長を考慮するとき、巨人過ぎる大きさの解釈はどのような術からなのか、ミステリーもあって興味津々です。 SECRET SendDelete