Edit your comment ご丁寧な返信コメント、ありがとうございました。 好き勝手なことを書かせていただいて、恐縮です。 今、これまでのコレクションを遡って拝見しているところです。 今回の画像は前回のとの絡み合い(褌以外でも)が気になり、書かせていただきます。 今回は1枚目と3枚目は、同じ被写体だと思いますが、私の勘違いでなければ、少なくともその年齢までに 女性との少なからぬ関係の積み重ねを湛える表情、身体だと感じます。 どうしても、そういうのに惹かれてしまうんですね(笑)。 男が悩み抜く性へのこだわりを、女性と交わる中で徐々に剥ぎ落としていった跡が感じられる。 少し露骨ですが、20歳ぐらいまで仮性包茎だった男が、その後女性とやりまくってズルムケになった場合。 その亀頭の質感と同じものを、この人からは感じてしまいます。 同年齢の100%ゲイとは明らかに違う雰囲気だと思いますが、どうでしょうか。 話は外れてしまいますが、山や森を司る神は女性である、と考える地域があるそうです。 そういう地域では、山や森の中で道に迷い遭難しそうになると、男たちは下の服を降ろし、 自分のモノを目に見えない存在に晒す、時には扱いて大きくしたモノを周囲に見せるようにする、そうです。 つまり、苦境の中で降参する、その証として白旗ならぬ肉の棒を掲げて許しを乞う、助けを願うのだそうです。 でも、日本の神話では、富士山などの少数の例外は別にして、山の神様は男の神とされているはず。 この写真の男性がその体と真心を捧げているのは、森の中で途方に暮れる男を誘う女性ではなく、 やはり山の男神だと感じます。 その立ち姿には、異性との艶かしい交わりを暗示させるものはなく、同じ男同士の自然な文脈で、 普段は隠しているモノを晒け出して、自分よりも大いなる存在に全ての判断を委ねている恭順さがあります。 この方は山で林業を生業にしているか、ひょっとしたら山伏のような行者、修験者なんでしょうか。 この人は日々の生業の中で、男は所詮服を着ていても全裸でいるのと同じ、 神仏の前では誰も何も隠し仰るものなどない、と観念しているように感じます。 こういう人と山里の温泉の露天風呂で一緒になるシチュエーションを想像します。 その鍛え上げた体や使い込んだ道具よりも、1つ1つの所作に男気が込る感じで、 人間ではない本当の父親、山の男神と一緒にいるような感覚になるのかも知れません。 一度、そういう状況に有名な温泉地の場末の旅館で遭遇したことがあります。 あれは本当に不思議な出来事でした。 また、機会があれば共有させてください。 SECRET SendDelete